一周年も無事終わりました。ここで一息ついて、ビジネスそっちのけ。本オタクというよりは文章オタクの私としては、4回目となる文章紹介ブログを書きたいと思った次第です。有名な作品からご紹介します。
世界の村上春樹。ダンスダンスダンスの一節
音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。
普通の文章と何が違うのか
村上春樹先生の本は私にとって合う合わないがはっきりしてまして。ダンスダンスダンスもたぶん読みましたが、ほぼ覚えてません。「ノルウェイの森」なんかは何度も読み返したのですが。ただダンスダンスダンスのこの一節は覚えてます。かなり有名な一節ですよね。この文章の何がすごいのか、ネットではいろんな方が論じてます。
違いは語尾にあり
やはり語尾ですよね。特徴は。「踊るんだ。踊り続けるんだ」や中盤から後半にかけて、「しまう」を連発するところです。普通、語尾被りは避けるものと教わってます。普通はそうしないと拙い文章になるからです。しかしこの場合→「踊るんだ。踊り続けくれ。」こうなります。でも、なんっか歯切れが悪い。じゃああえて語尾被りする他のバージョンはどうでしょうか。「踊れ。踊り続けてくれ。」おお。なんかマシになりましたね。それでは、大好きな「ノルウェイの森」の一節でお別れです(笑)
ノルウェイの森の一節
僕は笑った。「それでそのクラブはどうしたの?」「六月にやめたわよ、あんまり頭に来たんで」と緑は言った。「でもこの大学の連中は殆どインチキよ。みんな自分が何かをわかってないことを人に知られるのが怖くてしょうがなくてビクビクして暮らしてるのよ。それでみんな同じような本を読んで、みんな同じような言葉ふりまわして、ジョン・コルトレーン聴いたりパゾリー二の映画見たりして感動してるのよ。そういうのが革命なの?」「さあどうかな。僕は実際に革命を目にしたわけじゃないからなんとも言えないよね」「こういうのが革命なら、私革命なんていらないわ。私おにぎりに梅干ししか入れなかったっていう理由で銃殺されちゃうもの。あなただって銃殺されちゃうわよ。仮定法をきちんと理解しているというような理由で」「ありうる」と僕は言った。「ねえ、私にはわかっているのよ。私は庶民だから。革命が起きようが起きまいが、庶民というのはロクでもないところでぼちぼちと生きていくしかないんだっていうことが。革命が何よ?そんなの役所の名前が変わるだけじゃない。」