美しくて軽快な日本語|一人そば屋

武田砂鉄

このブログでは、オリジナルの袋ができるまでのあれやこれやとか、オリジナルの黒蜜ができるまでのどうのこうの、果ては動画ができるまでのエトセトラを書いてきました。いわゆる実体験を書いてたわけです。ただ、お餅のとけしとしてのブログとして、一本テーマを通すとすると、やはり「日本語や日本文化について書く」べきではないかと。そこで今回は本をご紹介。ええ、そのとおり。お餅・和スイーツ、まったく関係ございません(笑)まあ、大きく言うと食べ物つながりです。

なんども読みたくなる文章

最近伊藤比呂美さんという女性詩人が書いた食に関するエッセイを読みました。その名も「ウマし」。

この方の本は初めて読んだのですが、グッときました。いわゆるエッセイ系で一つのテーマで3ページくらい。その3ページで思い出の食事とそれにまつわるストーリーを語っていきます。

なんて事ない話のはずなのに

その中でも特に良いと思ったやつを、何個がご紹介したいです。まずは、「一人蕎麦屋」というエッセイ。「私は一人で飲食店に入る事ができないタイプだ」という話から始まります。そして、「最終的にはどうしても食べたい蕎麦屋に意を決して一人で入って食べた」というなんて事ない話なのですが、その表現がスゴイ!まずは、友人と蕎麦を食べた記憶からはじまります。

一人蕎麦屋


抜粋
「ところで、あたしは蕎麦が好きだ。大好きだ。でもお蕎麦なら自分で茹でられるし、つゆも作れる。お店で食べたいなどと思わずに生きてきたところ、もう十年以上前になるか、熊本にある更科蕎麦(さらしなそば)の店で蕎麦を食べた。ああ、そしたら!ちょんとつゆを浸けてつるると口に入れたとたんに、マドレーヌを紅茶に浸したときみたいに、ぐわあっと、失われた記憶が、東京の子ども期が、襲いかかってきたのである。更科蕎麦は、茹でた乾麺とまったく違うシンプルさ、力強さ、そして繊細さ。つゆはきっぱりと辛く、穴子天は食べ物というより哲学か神学のようであった。」凄くないですか?蕎麦の思い出のはずなのに、マドレーヌ、紅茶にはじまり、哲学、神学、ぐわあっ。

伊藤さんのそばつゆのイメージ

読みたくなる文章には隠し味がきいている

こういうキーワードが、読みたくなる文章には散りばめてあると思ってます。普通は使わないキーワードですよね。普通は「つゆは出汁の味わいがしっかり」「穴子天はサクサクでおいしい」とかですよね?こういう裏切り。言うなれば隠し味。食べ物についての文章だけに。読み手としては、普通こうきたらこうくる、と無意識に思いながら読んでるわけです。それをドンドン裏切られていくわけです。それが読みたくなるわけです。そして長くなったので、また今度。次回はついに伊藤さんが一人で蕎麦を食べる回です(笑)それではまた。

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